※注意 高校生 神尾、伊武ともに彼女や元カノがいる設定です 苦手な方は読まないでください ※







Help!


気温としては、コートを着るにまだすこし早い。ただ時折吹く風のつめたさに、首をすくめることも多くなってきた。この時期の自己主張は、マフラーから静かに始まっているのかもしれない。
神尾はブレザーのしたに着込んだパーカーのフードに首をうずめるようにして、ああマフラーが欲しい、とぼんやり思う。

伊武が通う高校の建物はいかにも古びた、そして飾り気のない、殺風景な灰色のコンクリートの外壁におおわれている。校門からぽつぽつと流れてくる生徒の装いも、神尾が通う高校とくらべてひかえめに見えた。
どんなマフラーがいいだろう。こころみに首元だけに注目して周囲を眺めてみても、代わり映えのない色彩とデザインばかりだ。特段に奇抜なものを身につけようとは思っていないが、大人っぽいくすんだチェックなどは、いまいち背中のラケットバッグにそぐわない気がした。

去年のやつは、どうしたっけ。たしか、付き合って五ヶ月か半年か、とにかくそんななにかの記念とかって、一緒にそろいのデザインで買ったやつ。安物だったけれど、色とかは、気に入っていた。
ああ、なんか、捨てさせられた気がする。いつまでそんなの持ってるのって。あいつたまに女みたいなこと言ってくる。ゴミ箱につっこんだとき、かさばって、端のフリンジがなにかの死体みたいにだらりと垂れ下がったの、妙におぼえている。さわるのも、嫌な感じがした。
でもその後マフラー買いなおさなかったっけ……。
いや、それも、捨てろって言われたんだ。寒そうにしてた子に貸したら、深司に、香水の匂いに気づかれて。あの子、いい子だけどちょっときついんだよな。
そう、それで捨てた。そして、春になったんだった。
マフラー、買わなきゃな。どんなんが、いいかな。

耳元で荒っぽく騒いでいる曲の音量を手持ちぶさたに上下させる。響くベースがしびれるような振動を鼓膜につたえ、周辺の騒音をかき消してくれる。街中ではともかく、この周辺では神尾が身に付けている制服はひどく目立つ。おまけに一人でいるものだから、無遠慮な視線がちらちらと向けられる。一瞬観察するように全身を眺められてから、ふいと顔を背けて通りすぎる。その繰り返しにも、いい加減にうんざりしてきた。

早く、早く出てこい。部活が終わる時間は、もう過ぎているだろ。

「あんま待たせんなよ」

あたりも随分暗い。念じるように口の中で呟きながら校門から出てくる人影に気を払っていると、ようやく目当ての人物が姿をみせた。駆け寄ろうとして、その姿によりそうように歩いている小柄な姿にすこしだけ目をとめた。
知らない、顔。伊武の横で、細いあめ色の髪をふわふわとなびかせている少女のマフラーは、白い。暗い色彩に満ちている風景のなかで、よく映えている。
上着から淡いクリーム色のセーターがのぞき、やせた腰元をおおうスカートに重なっている。肉も、筋肉もあまりついていない、痩せぎすの身体だ。抱き心地が悪そうだ。きっとすぐに骨があたる。スカートは短くない。少なくとも、下着が見えない程度には。
遠目に見ても、小さな顔のなかできれいにパーツが整っている。
ああ、きっと歯並びもいいんだろうな。
声に出さずちいさく笑い、神尾は二人連れの前にひらりと駆けよった。

「よお、深司」
「神尾……なにしてるの。こっち来るなんてめずらしいね」

近づいてくる時から気づいていたのだろう伊武は、いつもの無表情で神尾をむかえた。
伊武が連れている女子生徒は、近くで見るとなおさら顔立ちのよさがわかった。その少女が明らかにとまどったように、伊武を見上げている。手は繋いでいないにしても、袖口が擦れ合うような距離で、二人は歩いていた。
校門から少し離れたら、手をつなぐつもりだったのか。ヘッドホンを外しながら、なんとなくその近さが煩わしく思えた。伊武は、無意識だろうか。神尾が近づいた時、少女より、一歩前に出ている。

「まーな。このあと時間あるだろ? ちょっとつきあって」

少女の不安が、濃くなった。大きな瞳が伊武の横顔をさまよい、それから神尾をうかがうようにそっと覗き見る。
伊武の髪が、ゆれる。少女を見下ろし、また神尾に目線がもどる。神尾は、伊武が自分の言葉を聞くと、信じて疑わない、そんな顔をして、待っている。伊武の答えなど、考える間でもなくわかっていた。

相手にとって大なり小なりたいせつなことと、自分を天秤にかけさせるやりとりを、もう何度も、互いに繰り返してきた。
わかっていた。だから、待つだけでよかった。

なあ、大切なもの、捨ててみせて。俺を選んで。なんかいもなんかいも、俺がいいっていって。いくら大切なものがあったって、さいごは、俺だって。愛してるって、証拠、くれよ。俺のために、周りをきりすてて、寂しくなれ。ひとりぼっちで、俺の横に、戻ってこい。

伊武は物憂げにため息をついた。
神尾は小さくあくびをした。
少女の眉が、薄く寄る。


「……じゃあ、悪いけど、今日はここで。気をつけてね」

少女の、かすかにふるえたくちびるが、半端な笑みのかたちをつくる。できそこないの表情でもかわいい顔はそのままなんだなと、神尾はパンツのポケットに両手をつっこんでその様子をながめていた。とっさに言い返せない、なぜ、と問えない様子が、二人のなかがまだまだ浅いことを感じさせる。
やがてしおらしくうなずいた少女がくるりと背を向け、かけ去る寸前に、神尾は少し首をかしげて笑った。

「なあ。こいつのこと、とっちゃって……ごめんな?」

ほんと趣味悪いよね。
伊武のつぶやきが、低く、神尾の耳にすべりこむ。



「なあ、あれ同級生?」
「……そうだよ」
「へえ。かわいいのな。おまえの好みってわかりやすい」
「そう」
「だって変わらねえもん。次のデートいつだよ? 週末?」
「デートっていうか……日曜に、買い物行く予定だけど。ピアスあけてほしいって言ってたし。なんか買うんじゃないの」

うすい紺色にそまった空の下を二人で肩をならべ、歩く。高校に上がってから、神尾のほうが身長が高くなった。その差を意識した当初は違和感があったのに、それも、いつしか慣れてしまった。
伊武もマフラーをしていなくて、時折、寒そうに息を吐いている。なんとなくその様を見ていると、不思議そうな目線が投げかけられる。わずかに上目遣いになってしまうのを、気づいているのか、いないのか。
その顔は結構気に入っているから、神尾はからかうこともせず、にやにやと笑ってみせる。
わけがわからないと、伊武がぼやく。

「それで、あけてやんの?」
「頼まれれば」
「処女耳」
「まあ、そうだけど」
「うざってーな」
「別に……」

ふうん。
神尾は伊武の頬に、つめたい指の背でふれた。びくりとふるえて、やわらかく熱をおびた肌が離れていく。

「なに、するの」
「別に? 手、つめてえんだもん」

立ち並ぶビルと街灯のおかげで夕闇というにはまだ明るい中で、伊武の目元がかすかに色づいたように見えた。髪がゆれてのぞいた耳がまだきれいなことに気づいて、かすかな安堵を覚える。けれど次の瞬間には、ひょっとしたら二人で交互に耳に銀色の針をつきたてるつもりかもしれないと思いいたる。


「好きなの、おまえ。あの子のこと」
「そうだね」

似たようなやりとりを様々な局面でした。ある時はどちらかの部屋で、なにか思い出や記念などの品を前に、そう聞いた。時々、本人を目の前にして、この子のこと好きなの、と、からかいに似せて問いかけた。
伊武はいつもすこしだけ苦しそうな顔をする。罪悪感、だろうか。だとしたら、どちらへ。
隠そうとして、いつもと同じ声のトーンで返事をしようとしている。だいたい失敗しているが、神尾は、そこにふれてやらない。
そういう、伊武の、すこし隙があり、食らいつけばたやすく傷を負って血を流しそうな不完全なところは、かわいげだと、思うようになった。
だからこそ触り、爪をたててやりたくなる。

「じゃあ日曜、とりあえず俺んちな。買い物つき合って」
「……なに、買うの」
「ピアス。あとマフラー」

たっぷりと沈黙があった。その間に神尾は何通かメールを受信していた携帯を確認し、すれ違う青年が身につけている明るい色のストールに気をひかれ、スポーツ用品店のウィンドウをなんとなく眺めていた。
信号待ちをしている間に、伊武が無言で携帯を取り出したのを見ると、目を細めてうすく笑う。

「ついでに別れるって言ってもいーぜ」

伊武は答えず、静かに通話を続けている。何回か、ごめん、という言葉が聞こえた。

どうせ別れるんだから、そんなしなくていいじゃん。


「白いのが欲しい」
「なに」
「マフラー」
「……神尾、すぐ汚すんじゃない」
「そしたらお前が新しいの買ってくれよ」
「いいけど、」

しばらくかみ合わなかった視線が、引き寄せられるように、交差した。

「神尾はいつか俺が買ったものも全部捨てるよ」

神尾は一瞬だまり、すぐに笑った。

「そんなことしないに決まってんだろ」

一瞬、想像した。
シーズンを終えてしまい込まれていた毛糸のかたまりを、広げ、なんの感慨もなく見つめて、そばにいる誰かに乞われるまま、そしてきっとその誰かがいわなくても、きっと捨てる。繰り返したことが、今度は、隣を静かに歩む、彼が贈ってくれたものに対して行われる。きっと、捨てるだろう。そのときが来たら。彼が、自分のもとを離れたら。

それが、こわかった。不安になった。
どうしようもなく、逃れようもなく、別れというのはやってくるのだと、得体の知れない確信をもっている伊武が、おそろしかった。

日曜は、伊武の耳にあなをあけてやろうと、おもった。

そこに、小さくて、なくしやすい、ピアスをはめてやろう。
そう、おもった。

小さなおくりものをなくさないで。俺をたいせつにして。
たよりのないよすがをなくして。俺をきずつけて。

愛してるって。愛してるって、馬鹿みたいにうざったい。

(Help!)




20120407

back