やわい骨格


無意識に、両の手をポケットにつっこんでしまう季節がきた。そうしていると背筋が曲がる。周りに比べてわずかに低い視界がさらに下がる。

内村は自分を大きく見せようと思ったことはない。テニスを体格で競うものとも思わない。
それでなくともなにか別の意味で、大きいひと、なんて形容詞を求めたことはない。一度として。
いつだってビッグマンにはなりたくない。
けれど背中を丸めて鞄を脇に抱える父親の真似事になるのを嫌って、意識して手を身体の脇に垂らしている。いずれそのような考えを忘れる可能性は経験で知っていた。部活帰りに見かける、薄い夜の中にたむろする少年たちの形は巧拙の差はあっても露悪的だ。彼らの背骨はやはり曲がっている。骨のつらなりを歪めて街をそぞろ歩く姿の中に自分を想像することは困難ではなかった。

内村は頭蓋や肋骨を踏まれ、体重によって圧迫された痛みを記憶している。激痛に濡れた声を笑われながら、脳裏をよぎった諦めのことも。
傷だらけの体を庇いあいながら下校する内村たちに、制服を着崩した少年たちは嘲笑を浴びせた。
いびつな立ち振る舞いをする彼らの何人かが唇の端からもらした笑いの中に自分と同じ諦めを見つけ、可能性のことを理解した。
ああなるかも知れない。
湿った夜の水面を叩いてはしゃぐ少年達に漠然と感じた既視感は、部活動という枠を離れて街を歩いたときの心持ちにも似ている。


水道で洗ったばかりの両手は表面だけが冷たくて、中を巡る血液のあつさを強く感じさせる。街並みを舐めんばかりに降りてきた太陽はまぶしいばかりで少しも熱をくれないから、なおさら。
すこしふやけた指先は冷えやすい。軽く顔の前に持ち上げて動かしてみた。固くなった手のひらのかわは、右の方がやや荒れて見える。
あの夏より、さらに丈夫になっただろうか。
古くなり破れた皮の下にある真新しいそれを、かさかさと白っぽくみすぼらしいものが取り囲んでいる。先ほど与えられた潤いを早くもなくしていこうとする肌をまじまじと見つめて、だからクラスの女子はしきりにハンドクリームを塗り込めるのかと理解した。
めくれる皮の、みにくくささくれだった一筋一筋があの夏のころは真新しいものだったのかもしれない。

掲げた指の間に笑顔をひらめかせた神尾たちの姿がある。目立つ染色をしている者もなく、個人でいると程度の差はあれ集団に埋没していく仲間たち。ラケットバッグを背負ってより集まると、なにか特別な一団のように見えた。それが部という強い結びつきを持った集団に属する者が一様にふりまく印象なのか、それとも今の内村の立つ位置によってそう見えるのか、教えてほしい。
彼らはとても強固な連帯で結びつき、互いを唯一無二の仲間と認めあっている。そのような、姿をしている。ありきたりな黒の制服で、思い思いにたむろしているだけなのに。

内村は夏までそこにあった金色の頭をつい探してしまい舌打ちをする。あの男はもう部にはいない。彼は受験があるからといい、再び黒に染色してしまった。そしてもう三ヶ月もすればテニス部どころか、不動峰中から姿を消す。内村のこころに色あせない過去を残して消える。
狂おしいほどテニスに打ち込んだ、あの輝かしく、二度と巡ってこない夏をまとった皮が体からはがれ落ちるのを受け入れるほど過去にはできない。かといってじりじりと待っていることもできない。結局、爪を立てた。メリ、といやな感触がして小さな血の粒がにじむ。
舌先をつきだして傷口に押し当てると、指先は舌の熱を燃えるように感じた。
体からはがれ落ちる夏の残滓。鉄の味は以前のつらい記憶とも結びつく。
彼の引退から卒業まで、やけにゆっくり進むような時間がもどかしく、常どおりの馬鹿騒ぎに興じる仲間たちの声も耳にうるさい。この時計が再び加速する日は来るのか。
体に染み着いてしまった彼の速度だけが進んでいって、内村を置き去りにする。目まぐるしく過ぎた日々の残像がちらついて離れない。曲がりやすい骨はゆっくりと流れる永遠のような時に押しつぶされてしまいそうだ。
過去はしきりと警鐘をならしていた。それは心臓から吐き出される血潮に押されて、内村のこころにまでじわりと寄せる。


「森、明日は一番のりしてコート占領しようぜ」
声を大きくして呼びかけた。
仲間の笑顔から振り返り、こっくりと頷いてみせた彼の立ち姿はすらりと伸びて、まっすぐな影が内村の爪先まで届いている。

過ぎ去った夏が退屈な未来を許さないから、ひたむきに、ひたすらに、放っておくと漫然と通り過ぎてしまう日常と対峙しなければならない。
骨がゆがむのを、忌避する限り。






20120108

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