※注意 実際は死なないですが、それに近い描写有り 苦手な方は読まないでください ※
目をこすったらおまえは消えた
いつだって彼は甘やかされている。
降り注ぐ日光でさえ彼にはやさしいのか、軽く体を丸めて眠る彼は身じろぎひとつしない。
閉じた瞼のなかで、光に透けた血の色を見て眠るとうなされる、という。
だから眠るときは暗いところにいかなければならないのだ。悪夢にたえきれないこどもは、暗いところでしか眠ってはいけない。
けれど神尾はイヤホンを伊武とわけあって、コンクリートに背中をつけるとそうそうに寝入ってしまった。
一緒にさぼろうと誘いをかけてきたくせに。新しいCDで、聞かせたい曲があるなんて、本当にどうでもいい理由で伊武まで巻き込んで授業を休んだくせに。
身勝手きわまりない振る舞いを、神尾はいっこうに自覚しようとしない。そして伊武を含め、皆が神尾を許す。現に、伊武は自分の体を使って、神尾の頭部分に黒く短い陰をさしかけていた。
ぐんぐんと日が高くなっているので、もう神尾の顔の、その半分ぐらいにしか届いていないけれど。
赤い視界を無意識に見つめ続けると、そこに悪魔がいることに気づくらしかった。
けれど、きっと伊武がいなくても、神尾は誰かに陰をつくってもらい、安らかに呼吸をしていられる。
それを知っているから伊武は自分のいる場所から動けなくても、まったく困っていなかった。神尾と自分をへだてるものを、もう一度乗り越えようなどとしなくてよかった。
「……起きた。よく寝るな、ほんと」
「深司?」
「こんなときだってのに」
不意に身じろいで自分の横に伊武がいないことに気づき、体を起こした神尾は、己と伊武の間にかたく立ちはだかるフェンスを不思議そうにみた。
緑色の塗装がなされた針金の所々から錆の色が流れて赤くなっていて、そこに天から落ちてきた汚れがまとわりつている。見上げると無骨な棘が突き出した鉄線がうねっていて、乗り越えようとするものを威嚇している。
あれをつかんだらきっと棘が皮膚をつきやぶって、血が出る。
伊武のことだからそんな無様なことはせずに越えていったのだろう。フェンスに添えられた、彼の手のひらはわずかに黒ずんでいるだけだ。
「なんでそっちにいんだ」
太陽を背にした伊武を見つめているには眼を細めなければならず、それにより彼の表情がいっそう見えにくくなったので神尾は立ち上がった。フェンス越しに見る友人の顔はいつもと雰囲気が違う。
伊武の手に、自分のそれをあわせようとして間抜けにフェンスを握りしめた神尾を、伊武がいささか哀れむようにして見た。彼のように顔のつくりが怜悧に整ったものがそのような表情をすると、なんらかの侮蔑が入り交じっているようになる。
なにを言わなければならないかもわからない自分へ向けられるには、あるいは適当なのかもしれないとして、神尾は珍しく沈黙とともにそれを受け入れた。
「神尾、今度越前くんに会ったら伝えてよ」
「なにを」
「もしジーザスや釈迦、その辺に行きあったら、君の眼のこと、よく頼んでおくって」
「なにいってんだ」
「ああ、そうだね……多分、いないだろうことは知ってる。馬鹿にされてもしかたがない。神尾みたいな馬鹿に馬鹿って言われるのはムカつくけど、しかたがないよな」
伊武がいつも通りの平坦さで言うことの、半分も理解できないで神尾は顔をゆがめた。
馬鹿と言われたことしかわからない。
「ねえ、さっき、なにか夢みた?」
「いや……見てねえ」
「ならいいけど。神尾は明るいところで寝るとうなされるって、教わらなかったの」
ではなぜ自分はうなされなかったのだろう。
神尾は一瞬だけ気をそらしてしまって、その間に伊武は落ちていった。
「……え」
部室の天井、切れていたはずの蛍光灯がいつの間にか取り替えられている。
その白々しい光が落ちてくる中、神尾は狭いベンチを占領してひっくり返っていた。
足の間や頭の横など、少しのスペースには容赦なく仲間の荷物が置かれている。
周囲ではごそごそと各人が着替えなどしていた。外がまだ明るく、部室の空気も汗くささにまみれていないことから練習前なのだと理解する。
背中が、冷たく濡れていた。
「じゃあ、行ってくるから」
「ああ。また明日な」
「いってらっしゃい。気をつけて」
伊武の声がする。桜井と森がそれぞれに手を挙げて答えた。
「なんだよ、深司、練習出ねえのかよ」
声がいつもより明るく、それでいて不満の色が強くでたのは、ただ一途な安堵によるものだ。
だから、その瞬間に落ちた奇妙な沈黙に神尾はたじろぐ。
「言っておいたのに……越前くんの、見舞いだって。神尾、その分じゃ明日二限は屋上行こうって話も忘れてるだろ。自分から言っててこれだから困るよな……」
奇妙な悲鳴をあげた神尾を、伊武が、桜井が、森が、わずかばかり面倒そうに、苦笑などしつつ、静かに見下ろした。
20110928
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