僕は嘘を吐きたくない。


「おれ、あーいうの未だに苦手だわ。お前あれ本音?」
「……言ったとおり、橘さんのことは信じてるし」
森と内村は二人並び、ベンチに堂々と構えて、コートに立つ神尾を眺めている背中を見やる。円陣を組んだときに彼と交わした言葉を掘り返されて、森は自分の声から曖昧さを抜くことに失敗した。
さっきからこの調子だから、内村もいち早く集団から抜け出した森を追ってきてしまったのだろう。

いつだか、そう心配しなくても有名人たちみたいに自殺なんかしないと笑ったら、彼は嫌な顔をした。
それは後一押しで悲しみから怒りの奔流へ変わる類の感情だった。
自殺、などと面倒な言葉を使った自分に非があることを認めた森は丁寧に弁明をしておいたが、あれ以来内村は森にだけは命を奪うような言葉を用いた悪態を向けず、そのかわりに不器用な注意深さが森をつつむようになった。

「信じてるだなんて、京介妬けちゃうなー?」
「その棒読みはきついって」
「んじゃ森言ってみ」
「辰徳は内村さんをお慕いしています」
「……それ意味ちがくね?」
内村が首をかしげる。目を合わすことを避けた森は、正面を向いたまま一度咳払いをした。
「そうでもないよ。嫉妬ってある程度相手のこと好きじゃないとしないし」
「そう……そうなのか?」
「……ラブじゃないからね?」
「その確認はいらねえよ、ばか」

小さく笑った。

本当のところは、自分の本心をひとつ正確な言葉にして、相手に伝えてみたかっただけだ。
森が口にしても裏表ができない言葉がなにか、なにかひとつぐらいはないかと探していたらこれに行き当たった。
だから内村が前振りをしなかったら、森は突拍子もなく「好きだよ」などとぽつりと言って、相方を混乱させるような羽目になっていただろう。
内村はよほど強い言葉、たとえば彼が神尾や伊武に対して躊躇無く投げつける、死んでしまえといった類の言葉を使われない限り、話の意味を深読みしてこない。
だからこそ、にやにやとしながら「知ってるけど」ぐらいは言いそうだったがそれはそれでいい。

内村を慕っている……友達と思っている、好いている、ここに嘘はない。単純に、単純に、「友達だ」と言い切れる関係がここにある。
こんなことを言っただけで安堵してしまうなど、よほど自分は病気らしい。
本当の言葉をいつだって口にしていたい。たった一つの真実しか持たない光で相手の目を射ぬきたい。

好きだよ。
つらいよ。
頼りにしてよ。
……うらやましいな。

ただ、だいたいの場合、森は自分の言葉にひそむ本当の意味を捜し当ててしまうのでこれらの短く素直な言葉を吐くのは困難になる。

行間を読むんだよ、と教師は言う。
先生、行間を読み始めたら、次の行は沈黙を望むのです。
私のこころを勝手に解釈しないでと、か細い悲鳴をあげるのです。

そして、先生、僕はおなじ悲鳴をあげそうになる喉を絞めていなければなりません。


人の感情はなぜ表裏一体なのだろう。
嫉妬は前提に好意があって、それを裏切られたと感じたときに抱くもの。
好きも、嫌いも、すぐに向こうへ転じる。
こころの裏を読もうとすると、いやらしいほど様々な声が体の中でざわめいて不快だ。
言葉も同じなので、森はわざわざ信じているなどと口にした自分が嫌でたまらない。


本当に人を信じているのなら、わざわざその心を押しつけずにいられると思っている。
相手からか、あるいは他者から問われたときに、「なぜ。当たり前だろう」と不思議そうな顔をするぐらい、鈍くて、優しくもなく、そして森のように弱者だと自認する人種からみれば疎ましくなるぐらいに強い、そういう人間がいる。
言わなくてもわかるだろうと、その鋭い眼光がごく単純な疑問符によって少しだけ和らぎ、ふとあたたかな色に彩られるのを見たことがある。

そのような人間のそばで語ることは時に不誠実で、その汚さを思うと森はなにも言いたくなくなる。ただおいていかれる恐怖によってそのつぐんだ口がこじ開けられてしまうと、それも森の失望につながった。
意志に基づかない言葉は常に森がきらう汚れを拭いきれないまま唇からこぼれていく。

「信じてます、だとか、薄ら寒いよなあ」
でも、恨んでます、憎いです、なんて言葉も、だいたい同じ意味にしかならない。
橘にしがみつくわがままな手だ。彼の足を引き、腕にぶら下がり、肩にくらいつき、ずるずると重石になる言葉だ。

信じてます。裏切らないでください。
恨んでます。信じていたのに。

だったらすこしでもきれいに響くものをと選んではみたものの、結局、見せかけの輝きがまぶしく森の後ろめたさを照らしだすから逃げ出すしかなかった。

「信じてる、なんて俺が森に言われたらうれしいけど」
「そうかな」

「なあ、森」

「なんでそこで言ってくれねえの?」

からかっているような内村の目のなかに、無条件の好意と信頼のようなもの、そして一筋の、悲しみがある。





20110908

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