内村くんの鬱々としている話
「テニスしてえな」
「テニス、したいね」
内村はそれを聞いて、二人の顔を見て、神尾と森が全く別のことを言っているかもしれないと、不思議に思った。
神尾と森は、これで、そうだよな、とか顔を見合わせてため息をついたり、互いの情けない顔に笑ったりしている。
内村には、そこでなにが共有されているのかわからない。
二人は学校帰りに転がり込んだ内村の自室で肩を並べて、灰色の重く垂れ下がった雲から雨が滴り落ちる様を眺めていたから気づかないのかもしれない。けれど、内村は二人が同じようなことを言いながら、全く別の顔をしているのを見ている。
その後、互いの言葉が被さったことで笑顔になり、大げさにやりきれないぜと肩をすくめてじゃれあうのも全く理解できない。
だってお前ら、さっきまで正反対の顔して同じ言葉吐いてよ、それで「そうだよなあ」みたいなのって、本気で気持ち悪い。
茶番だ。教室で姦しく声音をあわせる女子たちではあるまいし。
内村は帽子のつばをいじり、床に直接尻をつけて阿呆かなにかのように窓を眺めている二人組を視界から追い出した。カップルかお前等は。
これが女の集まりだったら、内村の役割はただ一つ「だよねーっ」だ。それは絶対に言えない。
内村の感情はあまりにもそこから隔絶されている。
神尾はきっと森がどんな思いでテニスをしたいなどと言っているか、ずっとずっと気づかないまま終わるのだろう。彼は最初からそういうことができる位置にいない。
森がこぼす言葉の端々からなにものかを感じ、そばに寄り添うことができるのは同じ立場にあるものだけで、たとえば伊武や神尾のように恵まれた者にはその機会は巡ってこない。
それは自分もそうだという点を取っ払って、世間一般に教諭される中学生という年代を考えればごく当たり前のことであるように思えたし、ひょっとしてこれから状況がかわり、神尾や伊武が多少こちらがわに立つ者のこころのありさまを目にする機会があったとしても、そのときはこちらがその視界を遮ろうと動くに違いない。
これは決意でも意志でもなくただ漠然とそうするしかないという確信で、そこに内村の意志が立ち入る余地はなかった。
人はあまりに誇りを失うと腐ってしまうので、まあ頼むからあまり腐らせないでくれ、せめて俺や森が自分なりに自分の立ち位置を飲み込めるまでは放っておいてくれというのが正直なところであったし、神尾などに無遠慮に立ち入られて平静でいられるほど内村は大人ではない。
平静でいようと力を尽くす森の代わりにだって怒りを感じてしまうだろう。それが森の望むところではないとしても、内村の気質がそうしないではいられず、そのような場面はありありと目に浮かぶのでまたこれが鬱陶しい。
神尾よう。
お前、俺らのこと見てんのか?
神尾が立ちふさがる壁に向かって嫌悪の言葉を吐き、尋常ではない脚力を活かしたテニスを武器にしてその壁に挑み続けるのを近くで見ていた。だからわかる。神尾は争う相手として上級生だけを睨む。
その視界に自分が入っていないと気づいたのはいつのことだったか。ざらりとした感情が身のうちを毛羽立てていった。
前を見据え続ける者の視界に入らないと言って文句を言うのは情けない。ただ無言の努力を重ねて、自らが彼らの視界に踏み込んでいかなければならない。
だから森はテニスをしたいと言い続ける。
なのに、神尾、おまえは。
「明日も降るかなこれ。てるてる坊主とか、吊っておこうか」
何か奇妙な間を感じたらしい森が、他愛ない様子で、しかし内村をつり上げられるような言葉を撒く。
森のこういう、幼げな、しかも内村の価値観にしてみれば相当に女々しい発言は度々内村のつっこみを誘うものとして使われた。森が意識してやっていることに気づくこともあれば、まったく気づかずに踊らされることもある。ただそれは内村のために作り出されたまったくの虚構というわけでもない。何しろ森が使っている本のしおりは、押し花にされた四つ葉のクローバーだ。
「何の役にも立たねえだろ」
吐いた言葉が予想以上に強く響いた。
二人の視線を遮るよう一層深く帽子を下げ、舌打ちをひとつ。
てるてる坊主が役に立たないかって。
違う。
雨が降ろうとどうなろうと、俺たちはテニスができないし、「今日はテニスができるな」なんて空を見上げながら思うことは別々になる。
ただそれだけのことが、これ以上はないぐらいに腹立たしく、内村の手足を冷たくする。
20110822
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